[おまけ]自分の役について

共演キャストの皆さんの紹介は終わりましたが、せっかくなので残った自分の役の紹介を(笑)。

若者エルヴィーノは主役アミーナ(シリーズ第6回参照)の許婚で明日に結婚式を控えています。若いとはいえ”村の裕福な地主”という設定のとおりこの村では高い地位の身分であり、結婚式には村長や長老たちをはじめ村中の人が参列するほどの”セレブ”な身分です。

 

すでに親を亡くしており(登場シーンのセリフに出てきます)、結婚式も親族を伴わないのですが(新婦アミーナも養母のテレーザだけが身内)、村人みんなからまるで家族のように尊敬と親しみを持って温かくお祝いしてもらいます。裕福で地位のある身分ながら、孤児の村娘アミーナを花嫁に選ぶあたりもエルヴィーノの人柄を表わしています(身分の差を超えた恋愛という意味では『友人フリッツ』のフリッツとスーゼルや『愛の妙薬』のアディーナとネモリーノの関係にも似ているでしょうか)。

 

 

しかし身分格差は必ずしもこのオペラの焦点ではありません。むしろひとりの恋する若者として、嫉妬や怒り、そして喜びの言葉をストレートに表出し、何事にも直情的に行動する姿は若さゆえの短絡的無分別と思慮の浅さに起因する攻撃性をしっかりと持ち合わせ、それはイタリアオペラにおけるテノール役の”ステレオタイプ”と言えるでしょう(実際、『愛の妙薬』のネモリーノや『椿姫』のアルフレードと重なって見えるシーンも有ります)。

 

 

 

BELLINIの音楽と照らし合わせてみると、エルヴィーノには根本的に優美なフレーズが与えられ(「テノーレ・ディ・グラーツィアTenore di grazia=優雅な、優美なテノール」の代表的なレパートリー)、声の甘さと柔らかさ、弱音の多用、旋律ラインの美しさなどがまず求められているように思います。テノールという声種に対して歴史上初めて”天使の声”と評されたG.B.ルビーニがこの役の初演を務めましたが、彼こそ他ならぬ「テノーレ・ディ・グラーツィア」の伝説的名歌手でした。

 

一方、アミーナへの怒りや嫉妬心が爆発するシーンではそれ相応の声の強さも必要で、吐き捨てるようなアクセントや高音への突然の跳躍、力強い装飾音の連続などが有ります。特に合唱を伴う重唱部分(コンチェルタートConcertato)では主旋律パートを受け持つことも多く、その際は一定の声量とスケール感、スタミナも必要です。

 

 

 

BELLINIの格調高い音楽と、ROMANIの牧歌的な若者の青春を描いた人物像の融合に、この役が『ルチーア』のエドガルドとも『愛の妙薬』のネモリーノとも違う、独特の難しさとやりがいを感じる毎日です。

 

古今のテノールでも、このエルヴィーノ役を十八番にする歌手、またはエルヴィーノ役と言えばこの人、と言った決定的歌手はなかなか存在しないような気がします。いくつか入手できる録音や上演記録を見聞しても、エルヴィーノのパートを楽譜通り演奏しているものはほとんど有りません(カットが多い)。ライブの生の舞台ではもちろん、スタジオの収録でさえアリアや重唱のカットや音符の変更が散見される事情から察するに、やはりかなりのリスクを伴うパートであることは間違いないようですね。

 

 

 

ロマン派から遡るのではなく、やはりCIMAROSA、ROSSINIからの流れを汲んだBELLINIの『夢遊病の女』、そしてエルヴィーノ役を見てもらえたらと思います。気が付けば本番まであと2週間を切りました、ますますリハーサル頑張ります!!

 

(写真は1831年初演時のエルヴィーノ役の衣装絵コンテ。今回の上演衣装とは無関係ですが、あまりに姿が美しいのでご紹介させて頂きました。     Ricordi出版「BELLINI」p.54より)