”もう逆らうのはやめよ!”~伯爵の大アリア復活上演~

『セヴィリアの理髪師』のタイトルは初演時は『アルマヴィーヴァ(Almaviva)』、つまり伯爵の名前だったそうです。

 

原作はボーマルシェの戯曲『セヴィリアの理髪師』なのですが、ロッシーニが作品を発表した際の題名は『アルマヴィーヴァ、または無益な用心(原題:Almaviva,ossia I nutile precauzione)』でした。しかしその約30年前に先輩作曲家であるG.パイジェッロ(Giovanni Paisiello 正しい発音は”パイズィエッロ”でしょうね。)が『セヴィリアの理髪師』で大成功を収めており、ロッシーニは『アルマヴィーヴァ』初演から約半年後には『セヴィリアの理髪師』と題名を改めているそうです。

 

つまりロッシーニの『セヴィリアの理髪師』ではフィガロではなく伯爵が主役として作曲されているのです。

 

伯爵に与えられたアリアは3つ。登場のカヴァティーナ、ギター伴奏によるカンツォーネ、そして幕切れ直前の大アリアです。ちなみにフィガロは登場のアリア1曲、あとは全てアンサンブル(重唱)です。ヒロインのロジーナは各幕1つずつ合計2つのアリアが与えられていますが、2幕の方は劇中のレッスンのシーンで歌われる、言わば「劇中劇」のような性格のため、曲の内容としてはさほど重要なものではありません。

 

 

演劇的にも、全出演者の中で最も舞台にいる時間が長いのが伯爵で、衣装はなんと、少なくとも4通り必要になります。『道化師』『カヴァッレリーア・ルスティカーナ』など1幕ものオペラのテノールの演奏時間で比べると、およそオペラ4本分の量になるのです(もちろん一曲の重みが違うので単純比較はできませんが)。

 

 

 

初演時に伯爵を歌ったマヌエル・ガルシアはスペイン出身で当時41歳、すでにヨーロッパ中で最も高いレベルのテノール歌手として君臨しており、イタリア(ナポリ)での5年間の活動の最後の年に、これまたすでにヨーロッパ中で最も成功を収めていた作曲家ロッシーニによって、彼の伯爵を念頭に作曲されました。

 

マヌエル・ガルシアはテノールの中では重い声の種類にあたるバリ・テノール(Bari Tenore)として活躍しており、『オテッロ』表題役や『ゼルミーラ』のイーロなどロッシーニ作品の重い役をレパートリーの中心にしていて、興味深いものではモーツァルトの『フィガロの結婚』の伯爵役、さらに『ドン・ジョヴァンニ』の表題役など、完全にバリトン又はバスの役柄もキャリアの時期を問わず歌い続けています。

 

 

ロッシーニが、そしてガルシアが活躍した当時のテノールの発声法は基本的に高音の「ラ」または「シ」から上は裏声(「ファルセットーネ」と呼ばれるかなり強い裏声で、当時次々と建設された大歌劇場でも響き渡り、また楽器の材質の近代化により音量が上がり、編成も巨大化しつつあったオーケストラ相手でも十分突き抜けた声だったと言われています)だったことも大きく関係していますが、バリ・テノールのガルシアのために書かれた伯爵のパートは、実はロッシーニ作品の中でも比較的「低い」音域になっています。(古今東西、特に日本では『理髪師』の伯爵役と言えばテノールの最も軽い声(Leggero)の役柄の代名詞的に取り上げられますが、この点からすでに謝って解釈され続けてきています。)

 

大アリアも楽譜上の最高音は「シ♭」までで、しかも長く強く張り上げるのではなく、フレーズやアジリタの経過音として一瞬触れるだけに留まっています。(今回の自分の演奏では、色々なテノールの演奏を参考に、また指揮者と相談の上、最高音は「ド」、最後は音を上げて「シ♭」を長く伸ばすヴァージョンで歌う予定です!)

 

しかし何と言ってもここで求められるアジリタの難易度は圧倒的で、アジリタのおよそ全ての音型パターンが含まれるのではないかと思うほど、縦横無尽・変幻自在に音の羅列が果てしなく続きます。それでいて柔らかいフレーズや弱音、繊細な言葉のアクセントも要求され、1曲約8分の間に”怒り→慰め(甘美)→喜び”の3つの部分を歌い分けなければいけません。

 

 

でも、これを歌いのけてこその伯爵、本来の『セヴィリアの理髪師』の姿のはず!150年もの曲解された時代を終え、ロッシーニ・ルネサンスによって再発見されたロッシーニ作品の象徴として今や世界ではこのアリアが大人気となっています。

 

 

 

2007年ロッシーニオペラフェスティヴァルで約1ヶ月もの間、ロッシーニ研究の権威であるA.ゼッダ先生(ロッシーニ・ルネッサンス(再復興)は1968年、ゼッダ先生の『セヴィリアの理髪師』校訂版楽譜の製作・出版からスタートしました。以降、ロッシーニの全作品上演の達成、自筆楽譜からの編纂、テノールをはじめアジリタ歌唱法の研究と浸透など、直接的・間接的に20世紀後半~21世紀のオペラ界とオペラ歌手に多大な影響を及ぼしました。)から薫陶を受け、初共演だった園田さんの指揮のもとロッシーニの『ランスへの旅』を上演し、以来この作曲家の魅力に取りつかれた者として今回のこの機会をロッシーニ演奏のキャリアの上でのピークと位置付けて、全力で大アリアに挑んでみたいと思います!!

 

(※写真は2007年イタリア・ペーザロでのRossiniOperaFestivalにて。毎年世界のトッププロ歌手の公演の合間に、オーディションを経て世界中から集まった若い歌手たちが、一ヶ月間ゼッダ先生の指導を毎日受けて最後に『ランスへの旅』を上演するシステムで現在も全く同じ演出で毎年上演されています。)