巨星堕つ

この数日間で、日本のクラシック音楽界の巨星が相次いでご逝去されました。

バリトン歌手・合唱指揮者・評論家・作曲家など、プレーヤーとしても指導者・教育者としてもご高名な畑中良輔氏(1922年生)は、特に我が国の声楽界の住人ならばほとんど全ての人が氏の恩恵に与っているとも言えるほど、直接・間接問わずお世話になったかけがえのないご仁です。

 

写真を見て「ああ、そうだったか」と気づかれた学生さんもいるかもしれませんね。そう、我が国の声楽界の教科書、聖書(バイブル)的な存在である「イタリア古典歌曲集」をはじめとする全音楽譜出版社の緑色の楽譜は、畑中良輔氏の編纂です。「コンコーネ」「トスティ歌曲集」などなど、特に初級者向けの教材として広く普及しています。

 

外国の楽譜輸入がまだまだ希少だった頃より、継続的な氏のご熱意とご努力によって多くの作品が認知されたこと、対訳や解説も併記して初心者にも正しく丁寧に紹介されたからこそ、現在に至る日本の声楽の普及・発展があったのではないでしょうか。

 

「フィガロの結婚」「魔笛」などスタンダード作品の日本初演、二期会創設、慶應ワグネル指揮、新国立劇場初代音楽監督などなど、オペラ界・クラシック音楽界へのそのご功績に心より敬意を表し、謹んでご冥福をお祈り致します。

 

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そしてたった今、評論家の吉田秀和氏(1913年生)の訃報のニュースを見て追記致します。

 

98歳というご長寿を思えば、まさに大往生とある意味で讃えるべきかもしれませんが、やはり今は驚きと残念な思いでいっぱいです。

 

高校生の頃、実家の本棚にあった同氏著「世界の指揮者」(新潮社)をその表紙絵の親しみやすさから手に取って読んだことが、フルトヴェングラーやクライバーといった外国人指揮者の名前との出会いでもありました。

 

高校生時分の私でも分かりやすい文章でありながら、その時分では(もしかしたら今も)本質的には理解しきれなかった奥深さが同居する、ある種の「つかみどころの無さ」が逆に印象に残っています。評論なのに断定的でなく、読む側に”考えしろ”を与えてくれるというか、なにかそういったあいまいな雰囲気を感じたことを覚えています。

 

プロ演奏家になった今は、それこそが「芸術・音楽」といった分野の特質を言い表しているのかもと納得の思いがします。音大やコーラスの審査員や声楽の指導者の立場になってしまうと、音楽を言葉や数字で評することは難しいと感じます(時にはナンセンスだと思うことも)。

 

日本の音楽評論の先駆者・確立者であった氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

お二人の偉大な功績への賛辞、論評などはこれから各方面で語られることでしょう。できるだけ目を通して偉大なる先人の足跡をたどりながら敬意と哀悼の意を表したいと思っています。